Sunday, December 23, 2007

ホームレス中学生


実の父による突然の「家族解散宣言」から始まった、中学生の壮絶な貧乏生活…というシチュエーションもさることながら、登場人物たちの、ネタかと勘ぐってしまうほどオモシロイ表現やセリフに、不謹慎だと思いながらも笑ってしまった。
なんで関西人ってみんなこうギャグのセンスが良いの?




ホームレス中学生

下流社会


格差社会への危機感を煽りまくるタイトルからして、ちょっと手に取るのを躊躇してしまう一冊だったが、読んでみると、現在のニッポン社会を、膨大なデータに基づいた冷酷なまでに客観的に分析していて、個人的な被害妄想は抜きにとてもオモシロかった…。
「社会全体が上昇気流に乗っているときは、個人に上昇意欲がなくても、知らぬ間に上昇できた。しかし、社会全体が上昇をやめたら、上昇する意欲と能力を持つ者だけが上昇し、それがない者は下降していく。」
「現在、女性の格差が拡大している。それはかつてのように、単に夫の所得の多寡に帰せられる格差ではない。自分自身が稼ぎ出す所得、その背景にある自分の学歴、その背景にある親の階層、そして自分自身の性格、容姿など、様々な要因によって形成されるライフスタイル全体の格差である。」
「一部で言われているように、フリーターなどの非正規雇用は、たしかに自分らしく働くために選択されている面があるのだが、しかし、それが所得の上昇や結婚のチャンスを低下させ、ひいては生活満足度も低下させる選択だということがわかる。
 もしその不安定で不満の多い選択が自分らしさと引き換えになされているとしたら、われわれは、過去30年以上にわたって社会の主流的な価値観となった「自分らしさ」という、まるで青い鳥のような観念を、いったい今後どのように扱うべきなのか。」
「しかし、親がヒッピーだからといって、子供もヒッピーになりたいかどうかはわからない。親がエリートだからといって、子供にエリートとなる人生を強要できないように、親が、自分らしく、マイペースで、のんびり生きたい、実際そう生きているからといって、子供にもそういう価値観、人生を押し付けていいわけではない。親は、そして行政、社会は、すべての子供にできるだけ多様な人生の選択肢を用意してやるのが義務だと私は考える。ヒッピーの子供に将来「国際的に通用する」人間として世界で活躍する可能性を開いてやらねばならないはずである。」




下流社会 新たな階層集団の出現

オニババ化する女たち


女性の社会参加があたり前になった昨今、月経や性、出産という女性のからだにまつわる経験については、「女性の社会進出にとってマイナスなもの」として、人為的にコントロールしたり、過剰な医療介入を許したりする風潮がある。
そうした流れは、たとえば乳児死亡率の低下や、不妊治療の進歩など、女性にとって歓迎すべき変化をもたらした。けれども一方で、本来女性のからだが持っていた生物としてのエネルギーは、過小評価され、スポイルされ、今ではもう絶滅寸前の危機にあるのではとさえ感じる。

近代医療が存在しない時代でも、女性は性を謳歌し、出産し、育児を行ってきた。そこには、世代から世代へ受け継がれてきた、性と生殖に関する知識があり、それは今よりもずっと豊かなものだったはずだ。

女性自身が、医療から離れた見地に立ち返り、女性性が本来持っている生物的なエネルギーを再認識し、その素晴らしさを評価することが、今の私たちには必要なのだと強く感じた。


「医療の知識は、ほんの数年、長くて数十年、近代医療の歴史すべてを合わせても、たかだか百年程度の人間の知識なのです。このような短い時間しか経ていない「知識」は、治療の現場で、専門職の人々にとっては役にたつことかもしれませんが、人々がより豊かに性を営もうとするときには、あまり役に立てないのではないでしょうか。「知識」として覚えた医療や健康の情報は、若い人たちの心には届かず、なんだかどこかを素通りし、上滑りしているような感じを覚えるのです。

「理想ばかり追いかけても、人生は思い通りになりません。人生なんでも思い通りになるのだとしたら、「死」や「次の世代への交替」を受け入れられません。特に、結婚とか、子供を産むとか、誰かと一緒に住むというのは、全部「思い通りにならないこと」を学ぶことなのです。 」

「健康とか美容に関しては、消費社会によって歪められた情報でない限りにおいては、重要だと思います。自分のからだに興味を持つというのは、悪いことではありません。ただ、氾濫している情報のほとんどが、どのように商品化するのか、ビジネスにするか、ということをベースにしているので、本当に女性が自分にとって必要な情報を選び抜くということはなかなか困難になっていると思います。」




オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す (光文社新書)

Friday, December 21, 2007

サージェント・ペッパー ぼくの友だち


ぬいぐるみやカメとしか友達になれず、いつもトラの着ぐるみを着ている人間の男の子と、飼い主から莫大な遺産を相続してしまった犬のお話。

ドイツの映画です。

ストーリーはなんてことないのだけれど、登場人物やセリフのひとつひとつがとってもキュート。むくむくの犬や、着ぐるみをきた男の子の姿には無条件に微笑んでしまう。

すべてハンブルグのロケということですが、町並みや、お部屋のインテリアなんかもとっても魅力的。

いつかまた、子供と見たいな~。


サージェント・ペッパー ぼくの友だち

Sunday, December 09, 2007

築地の食べ方


プリっとしたネタ、銀色に光るシャリ、板前さんの帽子の白さ、芳しい鰹節の香り、鮮魚店の魚たちよりイキのいいおじさん、行きかうターレット…。

築地って、東京で一番エキサイティングな場所だと思う!

美味しいものが食べれるor手に入るというのはモチロンだけれど、河岸で働く人々の姿を見ているだけで、ニッポン人が食に対して持っている真摯な姿勢や美学のようなものを教えてもらえる気がする。

綴じ込み付録の築地マップもさることながら、市場で働く人々のとっておきの魚料理レシピ特集が最高でした。


dancyu (ダンチュウ) 2008年 01月号 [雑誌]

Thursday, December 06, 2007

空港にて


普通の人生を送る普通の人たちが、普通の日々の中で訪れた普通の場所で過ごした一瞬を描写した短編集。
子どものころから、人生の中で目指さなければならない最低ラインとして「普通」があった。「普通が一番」と言われるように、普通であるということは、変化に乏しくつまらない部分もあるが、概ね、80%ぐらいは安定していて、ハッピーである、という状態を指していた。普通という言葉を肯定的に使うことは、世間一般の共通認識であったように思う。リストラや、家庭崩壊や、うつ病は、本来「普通」とは縁のないものだったはずなのに、最近はどうも様子が違う。そう感じるようになったのは、自分が大人になったからだろうか、それとも時代が変わったからだろうか。
「オウムに入った連中がおれはよくわかるんだ。気力がゼロになると何か支えてくれるものが欲しくなる。何だっていいんだよ。やっとわかったんだけど、本当の支えになるものは自分自身の考え方しかない。いろんなところに行ったり、いろんな本を読んだり、音楽を聴いたりしないと自分自身の考え方は手に入らない。」
「普通の人は、一生、普通というカテゴリーに閉じ込めらて生きなければならない。そして、普通というカテゴリーにはまったく魅力がないということをほとんどの人が知ってしまった。そのせいで、これから多くの悲劇が起こると思うな。」
「相手が意思と好意でやっていることについて、どうしてそんなことをするのとかと聞くのは甘えだ。あなたが好きだからやっているんだよ、と言って欲しいからそう聞くのだ。幼児と一緒にいるとそのことがよくわかる。」



空港にて (文春文庫)

Wednesday, December 05, 2007

親だからできる赤ちゃんからのシュタイナー教育

シュタイナー的な教育論に出会うまで、子供を育てるということはストイックで辛いものだと思っていた。子供の気質や趣味嗜好はもちろんのこと、子どもがどういう風に成長していって、どんな人生を送るのかは、親の育て方が全面的に影響してくるのだと思っていた。子供に対して親が負う責任の重さに戦々恐々としていたのだ…。

子供に対してベストを尽くしたい。けれど、その思いが強ければ強いほど、巷に溢れる様々な情報や価値観に翻弄されて、一体全体何が良いのかわからなくなる。

典型的な頭デッカチになっていたところへ、まさに天啓が降りてくるというばかりに出会ったのがこの一冊。

「子どもは、たんに家庭における体験を集めただけの存在ではないし、私たち親の持つ育児技術の製品でもない、かけがえのない存在です。」

「子どもは小さな大人ではありません(中略) たとえば、まだ一、二歳の幼児は、自己と外界に違いがないような「参加的な意識」のあり方をしています。二歳から三歳の間に記憶が発達し、「私」という言葉を使うようになったとき、初めて意識に大きな変化が表れます。このため多くの人は、三歳以前の記憶をほとんど持ちません。」


七歳までの子どもは、全身を感覚器官にして世界を理解し、周囲の人間を模倣することで成長する。親がしなければならないことは、大人の理論や知識を押し付けたり、大人のルールにのっとって躾にやっきになることではない。子どもを取り囲む空間を美しく温かいものにして、子どもが「自分は大切にされ、愛されているのだ」と常に感じられるようにすることが、私たち親のするべきことなのだ。

子育てという、クリエイティブで、芸術的で、愛情に満ち溢れた仕事をスタートすることに、期待と喜びを感じずにはいられない。

親だからできる赤ちゃんからのシュタイナー教育―子どもの魂の、夢見るような深みから